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2011年6月26日日曜日

ウンコと戦国時代

戦国時代のどうでもいい話として、ウンコの話があります。

実は、戦略や戦術に大きな影響を与えていたというおはなし。うろ覚えなところもあるけど、話のネタにどうぞ

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矢尻に塗られた毒の正体

「グッ・・・矢尻に毒が・・・俺はもうダメかもしれない」

ドラマやアニメでよくあるこのシーン。弓矢に毒が塗ってあるってものなのですが、実際はどうだったのでしょう。

まず、毒矢に塗られると予測できるトリカブトや芥子やスズランなどは、日本にも生息していましたが、育成が非常に難しいのは、当時でも言えたことでした。つまり、超高級品だったわけです。その手の畑や生息地は、大名や地域の土豪などによって厳重に管理されていたというぐらいです(※鈴蘭畑は危険過ぎるので住民の立ち入りは本当に限定されていた)。ですから、そんなにホイホイ使えるものではありませんでした。近畿地方の大名である六角氏はその代表です。

では、戦場においてどうしたのかというと、簡単な話です。矢尻に糞尿をつけて射ったのです。

既に戦国時代に於いても、破傷風による死傷は広く知られていました。そしてその予防策もです。となれば、破傷風を拡大させるその有名な方法、つまり、傷口を不衛生にする手段で、戦場で最も安価で最も簡単に手に入れられる物、それはウンコ、つまり糞尿にほかなりません。

当時の資料においても、兵士たちの死因の殆どは弓矢によって受けた傷というのは、非常に有名な話です。正確に言うと、そこからの失血もしくは破傷風が原因な訳です。

手軽な上効果も非常に大きいため、特に記されては居ないのですが、大体弓を射る際には、矢尻に糞尿が付いていました。現代日本にも言える事なのですが、その当時当たり前と言われる事象はわざわざ記録に残ってないのです。

また、糞尿は攻城戦においても重要な武器で、石垣などを登ってくる兵に対して浴びせかけるなどしたのです。これは後述しますが、城内の余計な糞尿を処理する意味合いもあります。ウンコを当てることで怯ませる他に、石垣などを滑り落とさせる効果もあり、投石と弓矢に並ぶほど一般的な攻城兵器でした。

なので、「グッ・・・矢尻に毒が・・・俺はもうダメかもしれない・・・ガクッ」と死んだ人は、ウンコで死んだのです。カワイソス(´・ω・`)。


衛生としての糞尿

戦闘中の兵站に於いて最も困難な事は、武器や弾薬の現地調達の他にも、水の調達という物があります。三國志に於いて、馬謖が山の上に陣を張り大敗したのもこの水の影響ですが、戦闘は非常に水を消費します。

矢尻に糞尿が付いているのは当時では非常にポピュラーな訳ですが、傷口の糞尿や泥などを洗い落とすために、貴重な水は使えません。ではどうしたのかというと、おしっこで洗い落とすのです。いやマジで。

戦国時代の武士たちは、常に水筒を持ち歩いていたのは有名ですが、それとは別に同じような水筒(大抵は竹で出来ている)を持ち歩いていました。

これは何のためにあるかというと、おしっこを持ち歩くための水筒なのです。戦争中はおしっこはこの水筒にして、常に持ち歩いていたのです。このおしっこは、飲む為ではなく、傷口を洗い流したりする為のものです。嘘のような本当の話。

先に挙げたように、戦闘中の水の確保は困難を極めます。飲む為だけの水を確保するので精一杯なわけですから、怪我をしたときに傷を洗い流す水など簡単に入手できるはずもありません。そこでこのおしっこで傷を洗い流したのです。

なにより、戦闘中など、極度の緊張状態ではおしっこは意外に出ないのです。傷を洗うためにおしっこを出そうとしても出ないことの方が多いのです。そして、怪我をするのは自分だけではありません。なので、おしっこが出せる時に筒に貯めて持ち歩いたのです。

間違って飲んだらどうするの?」という質問がありましたが、どうやら普通に飲んでたようです。オエー。ただ、そのままでは飲めないので、実際は口をゆすいだり、布などでろ過してから飲んだりしてました。信じられないと思いますが、戦場に於いて水の確保はそれほど重要だったのです。唾液をだすために、植物の種や小石を口に含むなどはこの時代でも普通に行なっていたおばあちゃんの知恵袋です。


ウンコを管理する

日本の歴史はウンコの歴史です。日本のトイレは昔から優れていましたが、それは戦国時代も同じです。

ウンコを管理する事は国を治めることであり、その傾向は戦争の多かった戦国時代に於いては非常に重要なことだったのです。


非衛生による被害とウンコの価値の上昇

日本は湿潤な気候であるので洪水による被害の他、地震大国だったり、地域によっては降雪による被害など、何かと天災の多い地方です。そしてそれによる二次災害と言うのは昔からありました。嘗ては、そこらに垂れ流しにされていた為、ひとたび天災が起きようものなら、氾濫した糞尿による疫病により、多くの人命が失われました。

それに大きな変化が起きたのは、ウンコを下肥、つまり肥料として使う事です。日本では14世紀(1300年代・室町時代)から、記録としては1334年の二条河原の落書に既に記載があることから、これより前から広まっていたようで、この大発見により、糞尿は農作物の生産力を高める重要なものとしてこの14世紀あたりから徐々に管理されてきたと考えられます。

農作物の生産力を上げる効果がある糞尿は、個人の管理から団体への管理とやがて移行していきます。


農村でのトイレ事情

まず農村ですが、当時は江戸時代と違い、半農半兵、いうならば常時屯田兵だった為、村はアニメやドラマなどに見られるのどかな農村という風情ではなく、ある程度の人口を有する村は、戦闘の出来る統率された集団として機能していたことを、先に記載しておきます。平時は農民として農作物などを生産し、戦時は武器を取って戦っていたわけです。一応、武家は存在しては居ましたが、地方に於いては半農半民というのがディフォルトと考えて良いと思います。

糞尿は肥料として使えるため、各個人の家に於いて管理されていただけではなく、集落が密集している場合は共同トイレのようなものが作られ、そこでみんな用を足していたようです。各個人の家のトイレの屎尿を、肥溜めに集めて下肥として管理し、農作物に与えていました。ウンコは厳重に管理されていたのです。

また、武家が使う馬の排出する馬糞や、豚や鶏の排出する糞尿も厩肥として、田畑の肥料として使っていました。

田畑の生産力を上げるこのウンコですが、当然ながら、人口の他、肥溜めなどでの運用の仕方により、肥料としての量や価値も変わってきます。そうなれば、多いところから足りないところへ、つまり、ウンコが「商品」として取引されるようになります。いわゆる金肥です。「隣村のウンコまじクオリティ高ぇwwwwwwもっとくれwwwwww」というのが日常茶飯事・・・だったと推測できます。ウンコで人殺しも起きたかもしれません。なんせ金になるのです。

以上のことから、日本ではウンコは大事にされました。西洋のように、そこら辺で用を足すということは、勿体無いからやらないのです。でも、ウンコを貯めると臭くなります。ですので、この臭さを何とかするために、トイレに関して常に発展してきたと考えられます。やるなら一箇所にやる方がいいですし、管理もちゃんとした方がいい訳ですね。

結果的に、このトイレの集中管理と、糞尿を下肥、つまり肥料として使う文化の影響で、日本の農村は衛生的に優れ、西洋や都市部と違って疫病などの災害が比較的少なくなったと考えられます(※1)。奇妙にも、疫病の流行は、中世の日本においては、大洪水などの水害があった時によく起きています。これはウンコが洪水で流れてしまったからと考えられます。西洋との比較で考えれば、飢饉の時にもペストなどの疫病が流行した西洋に対し、日本は飢饉の際はさほど疫病がなかった事が、比較的衛生であったと言うことの裏付けになると思います(※2)。

野糞などしようものなら、ムチ打ち100回とかの罰則が・・・あったかもしれません。

※1
逆に言うと、日本に於いて「香料(香木)」が然程発展しなかった理由の一つでもあります。日本が戦国時代の時、西洋は大航海時代でした。この時、香料は西洋文明のみがほぼ持ちうる文化と言えたので、重要な貿易品となり得ました。

※2
この日本が非常に衛生的であったもう一つの理由は、「温泉文化」にありますが、この事はまたお話ししたいと思います。非常に重要なんです。


都市部のトイレ事情 ウンコの匂い立ち込める街だった京都

一方、都市部はというと、肥溜めなどをはじめとしたトイレの設置などはあったのですが、供給と需要が吊り合っていませんでした。ウンコをする人が多い割に、使われる量が少なすぎたのです。農村の人間が、糞尿を手に入れにくる事もあったようですが、糞尿の流通は然程活発ではなかったこともあって、京都などでは、西洋のように道端に糞尿が捨てられていたようです。

なので、意外に大都市は不衛生で、ひとたび疫病が起きようものならやはり多数の死者が出ました。先に記した、「比較的衛生だった」というのは、京都には当てはまりませんでした。戦国時代などでは、文化の中心で、貴族が多く住んでいたこともあって、非常に華やかで発展した都市のように思われていた京都ですが、現実は、アンモニア臭が立ち込める、非常に不衛生な都市であったと言えます。不幸にも、京都は然程水捌けが良いわけでもない上に、盆地である為、夏は物凄く暑く冬は物凄く寒いという環境も、その不衛生さに拍車をかけてしまいました。

しかし戦国時代に入ると、城塞都市という概念が徐々に根付いてきて、都市内部でも汚物の処理が出来るような流通網の確保や、トイレなどの衛生面の管理などが徹底されていきます。

特に、お城に於いては、内部でのトイレとそのし尿処理は十条な案件の一つとなりました。これは、城が攻められた際の籠城を視野にれるためです。室町時代などの戦闘の経験から、籠城に於いて恐ろしいのは、食料の不足だけではなく、衛生面からの疫病というのが広く知れ渡ったからです。第二次七尾城の戦いの敗因は、城内のし尿処理が追いつかない為による、疫病でした。

こうして、戦国大名は都市部に於いてもウンコを重視していきますが、それを加速させる物が西洋から伝来します。


ウンコの管理を変えた鉄砲伝来

戦国時代に日本にもたらされた鉄砲は、日本の戦闘を一変させる程といわれる大革命を起こしたのですが、鉄砲が変えたのは戦闘だけではありません。ウンコの扱いも変えてしまったのです。

鉄砲を撃つ為には火薬が必要なのですが、この火薬は、硝石・木炭・硫黄を調合して作ります。この硫黄と硝石(煙硝)が、ウンコと大きな関わりがあったのです。

日本は、鉱石として硝石の産出は殆どありませんでした。これは鉄砲を伝えた欧州も同じで、この鉄砲の伝来と共に、火薬の生成方法、もっと言うと、硫黄と硝石の産出・精製方法も伝わったのです。その方法は驚くべき方法でした。

ヨーロッパでは家畜小屋中の、家畜の排泄物が溜まった土から硝酸カリウムとなったものを抽出して硝石を得ていました。フランスでは硝石採取人という職業が昔からあり、家に立ち入ってトイレ近辺の床下や穴蔵の土を採取したのです。

つまり硝石は、土に草や糞尿を混ぜてしばらく放置することで出来る訳ですが、火薬に必要な硝石を作るために糞尿が必要となったのです。

硝石の産地として有名なのは五箇山で、ここは石山本願寺の拠点の一つでもありました。秘伝とされた硝石製法技術も、火薬は軍の必需品である為、門外不出とされたとしても、否応なしに全国に広がります。薩摩・飛騨白川・信濃・出羽は有名な産地です。つまり、「ウンコに草を混ぜて土に埋めて、火薬と交換する」という、肥料以外の使い道が見つかり、その方法を知る勢力は、強大な富と力を得るようになっていくのです。上記の産出地を見てもらえばお分かりのように、巨大な硝石丘を持つ大名は鉄砲隊を有効に使えた勢力が多いです。薩摩の島津・飛騨白川の織田・信濃の上杉(信濃の硝石丘は越後よりだった)・出羽の伊達などです。


ウンコを支配する者 兵糧と火薬を支配する

こうして、農作物の生産量を上げる物というだけの認識だったウンコは、火薬の生産量を上昇させるという、兵站に於いて重要な側面を持つ産物となりました。あまり資料に載っていないのが残念なのですが、島津家などはウンコの流通を大名が取り仕切ることで、火薬の生産や兵糧の生産を牛耳り、織田家は一向一揆より得た硝石の算出方法から硝石丘を作り、秀吉は京都から飛騨へのウンコ輸送ルートを構築するわけです(硝石輸送ルート)。

まぁフィクションだと思っておいてください。


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